令和二年弥生・降臨

写真は昨年12月奈良平城宮跡の夕日を撮影

タイトルは

【令和・降臨】

3月初旬に行われる予定だった

西宮市甲東公民館梅びらきイベントに続く甲東文化祭で

所属している公民館活動甲東カメラクラブの作品展に出展予定だった。

クラブの会長さんはじめ皆さんがアレンジしてくれたもの。

先輩方の多数決で白黒を出展することに決めた

題目も先輩方がつけてくださった。

開催できないのは残念だが仕方がない。

【暗闇の心導く冬花火】

一週間ぶりのブログ更新。いやもっと間が??

ここ最近、ずっと仕事と家の往復だけ。外食もほとんどしなかったというか、人が集まる場所に行かなかったというか

行きたくなかったというのが本当のところ。

でも今日、それを別の展開で更新した。

先日、あるグループのお仲間の男性一人が風邪をこじらせ急に亡くなられた。

その方の偲ぶ会に今日は行かせていただいたから。

その方とは3年前に初めてお目にかかった。

その時『さびしそう』と言われた。初めて会った人に初めて言われたので、当時はただただ驚くばかりだった。

その後は三宮のラジオ関西さんちかスタジオでの公開生放送にも来てくださり、応援してくださった

このサイトの記事についてもメッセージをくださり、交流は続いた。

偲ぶ会には息子さん夫妻も来られていたので、いろいろやりとりについて話せた。

気がつけば私はグループの皆さんとも楽しく会話をしていた。

来週の打ち合わせのため、名残惜しくも、しばらくしてその場を後にした。

帰路、いろいろ思い巡らせたことは、その方が久しぶりにお仲間たちと引き合わせてくれたのだということ。

心の誘導。それは先日上がったわが町の花火のようだった 

『久々にみなさんとお繋ぎいただきありがとうございます』夜空に向かって声を放った。

何が何でも…

マスク不足。 はずかしながら不安症候群。 17年前のSARSウィルス流行時、生後2ヶ月のニ男の存在もあり、外出ほか公共の乗り物に全く乗れなくなった。 その時は自家用車もなかったのでどうしてもの時はタクシーを呼んでのDoor To Door.. 当時、親や家族はウィルスよりも私の行動が不安だったという。 私のこの不安性は今に始まったことではないと母親から聴いた。 遡ること…ん十年前、、私が生まれた病院で、赤痢という伝染病が流行、言わば院内感染していたらしく、私を取り上げた病院の助産師さんが 次の日に赤痢感染の疑いで隔離された。 新生児の私も感染の疑いがあるということと、未熟児だったこともあり、1ヶ月間検査検査で母と一緒に退院ができなかったそうだ。 一ヶ月後、やっと退院ができたものの家には小学生の兄2人と姉の計3人がいじくりまわすかもしれないと両親が懸念。 母は私のために一つ部屋を作り小学生3人を入れないようにした。ま、隔離です そのためか当時小学一年生だった姉は私の存在を私が2歳になるまで知らなかったとか。天岩戸か?(笑)その後も私は 2歳の時に、はしかで重症化。体重も増えず、蚊にさされたらそこから膿むという虚弱さ。 幼稚園のころは、担任の先生から『ちょっとしたことですぐに手を洗いに行く』と指摘された。 わかりやすくいうと1時間に10回〜20回。そりゃおかしいと思われても仕方がない。 そして20歳の夏、猩紅熱、溶連菌感染症にかかりそれが重症化して入院。 そんなことからか知らない間にウイルスと菌には敏感になってしまった。 なので今のマスク不足に大きな不安を感じる。 一枚でもほしい。 今日100円ショップで不織布マスクが置いてあった。 イラストつきだが購入した。なんとしてでも使う。 小さすぎる、イラストが気になるなどいろいろ思うが、マスクの上から正方形のタオルハンカチを半分に折ってかぶせるとちょうど良いサイズ感。 イラストもかくれるので、使いやすい(トップの写真) 決して感染を安全に防ぐものではないが、0よりマシだ。 個人的なことだが、マスクをつけて移動するのとマスクを着けないで移動するのは気持ちの上でもぜんぜん違う。 だからといってきれい好きでもなんでもない。