ようこそここへここへ……木村陽子です♪
MCの仕事のスタイルは表舞台に立って進行していく場合と、舞台袖や舞台裏側でアナウンスをして進めていく影アナスタイルがあります。クラシックコンサートのMCは、この影アナスタイルが多いように思います。
私がこの仕事をはじめて知ったのは高校3年生の夏休み。当時 習っていたピアノの発表会に出演するにも弾ける曲がなく、出演を断念せざる終えない状況下にありました。そこで先生に相談にいったところ
「おお!いいところに来たな!発表会はもう出なくてもいいよ。その代わり当日は私の手伝いをしてくれないか?」
「あ、はい。わかりました。何をすればいいんですか」
「当日出演者のリハーサルまでには来てくれよ。それから説明するから。それと、服装は発表会に出演するのと同じのでいいから」
そして 当日恐る恐る会場に行ってみると、すぐに舞台袖に来るようにと指示がありました。
マイクの前に座るように言われ、先生からルビがふってあるプログラムを渡され「出演者の名前と演奏曲名と、それではどうぞ と言ってやってくれ」とのことでした。
なにもわからないまま、本番を迎え 言われた通りにマイクに向かって声を発しました。当時30組ほどの生徒さんたちを舞台に送り出す役割だったのです。
終演後 先生が私の元にやってきて 第一声が・・・
「おつかれさん!本当にありがとう!助かったし、お前 とてもいいアナウンスできるね!またたのむよ!」
と茶封筒をわたしてくれました。あけてびっくり!千円札が2枚はいっていました!
え!いつもは月謝払っている立場の私。先生からお金をいただくなんて・・・それも当時の高校生にしては大金です。たった2時間マイクの前で間違えないように名前を読んだだけなのに。
はじめて謝礼をいただき、こういう職業があることを知った瞬間でした。
来年もまた・・・そうおっしゃっていただいたのですが、先生はその年の秋に交通事故で亡くなってしまいました。今でも8月が来るたびに、先生の笑顔とあの舞台裏の空気や、表舞台とのギャップに驚いたことを思いだします。
さて!さて!
毎年8月にお声をかけていただくオペラのアナウンス。今年も行ってまいりました!
関西カゲキ派 第44回公演 オペラ『ラ・ボエーム』
関西カゲキ派とは
1971年9月、三重県「合歓の郷」にて7人の熱狂的(過激)なオペラ(歌劇)ファンが意気投合して結成。1972年の「マリア・カラス記念コンサート」を皮切りに、以来毎年ガラコンサートやオペラ上演を行っている。そのユニークな解釈と大胆なカットは他の劇団の追従を許さず、本邦初演も数多い。
上演に際しては原語上演を旨とし、字幕を完備。また、プロのオペラ歌手は合唱メンバーか端役に割り当てられ、アマチュアが主役をとるという掟がある。
とにかくオペラと、マリア・カラス様を 愛して止まない、ちょっとオチャメな、とっても素敵な音楽家の皆様です。
今年はお盆の時期8月14日に開催されました。私もかれこれ10回目… 10年かぁぁぁ。「お盆に原点に帰る」ぴったりですね。
カゲキ派の皆様!いつもありがとうございます。
そうなんです!はじめて影アナを知ったあの8月と同じ。あの時の気持ちで毎年影マイクの前で座っています。
あの夏、先生が「影アナでも出演者と同じように身なりを整えて来るように」 と言ったのには意味がありました。
それは当日の演出の変更などで 急遽表の舞台にたって進行しなくてはいけない時もあるからです。(一応黒っぽい服で、、華やかさもね)
マイク・カフ・ヘッドフォンや機材、養生テープ・そして音響・ホールスタッフさんたち♪そして影アナ・・・
ステージ演出にはなくてはならない 影・陰・カゲの軍団たちです。
PS♪出していただくお弁当はとてもゴージャスで食べきれないほど!
しっかり完食させていただきました!ごちそうさまでした