宮城県の旅 気仙沼市と南三陸町~縁をつないで①

ようこそここへ 木村陽子です。

はじめに・・・この旅が中身の濃い、充実したもになったのは現地でずっと案内をしてくださった地元新聞社 三陸新報記者 玉谷誠一さんのおかげです。ありがとうございました。

8月27(土)・28(日)の二日間東日本大震災後二度目の宮城訪問をいたしました。前回訪れたのは  昨年の11月7(土)8(日)晩秋。今回は夏から初秋にかけて。すでに気仙沼の空は秋色でした。前回行かせてもらったときはひとり旅。

その時、次回は必ず二人以上で来るね、と約束をしました。で、今回は中学2年生男子と二人で訪れたのです。

余談ですがこの中学生、実は宮城県と縁があるようで、彼が2歳のときに、彼のおじさんの結納式が仙台の多賀城で行われ、母親である私に連れて行かれたのです。もちろん彼はそんなことみじんも覚えていませんが)

今回の旅は、地震災害にあったこともない次世代の人たちに、地震がもたらす被害や、怖さ、そして地震がおきてしまったときにどうすればいいのかということを考えてもらうためのものでした。

私は、21年前の阪神淡路大震災を経験していますが、彼は全く知りません。毎年1月17日には学校で防災について学んでいるようです。

今年も南三陸町志津川の中学校の先生が彼の通う中学に来られ、お話をしてくださったそうです。これもとても大切なことではあると思います。

しかし、それだけで満足してしまうのはどうでしょう・・・せっかく遠いところから時間をかけてお越しいただいているのですから。受ける側が深く受け止めなければ・・

恥ずかしながら、実際に彼はありがたい志津川の先生の講演を受けたことを一切私に話しをしませんでした。これは憶測ですが、彼のなかでは一授業のひとつだったのではないかと感じました。

せっかくのお話、あとは縦《家庭》の教育でもしっかりと伝えなければ・・・と思いました。

私は戦争を知りませんが、戦争の悲惨さや怖さや悲しみは実際リアルに体験した両親から聞いていました。両親が戦争体験者ではなかったら・・それほど戦争の話を真剣に聞くことはなかったかも知れません。

それと同じという訳ではありませんが、身近な人から直接伝えられたことは時がたっても忘れることが少ないように思います。

子どもにとって親の口から発信されるものが大きく大切な情報源だと考えます。今回は、言葉ではなく、知る環境を整えただけなので、えらそうなことは言えませんけどね。

中学生の彼は、カメラをしっかりぶら下げて、記者さんの言葉を聴きながらひたすらシャッターを押していました。デジカメですが、レンズを通してなにかが伝わってくれたら・・・


もう、走らない気仙沼線の鉄橋。当時のまま

津波の被害が大きかった地域では土地のかさ上げ、かさ上げ、かさ上げ・・・

南三陸町の防災庁舎と献花台 今でもたくさんのお花と千羽鶴。そして手を合わせる方たちも。

南三陸町の結婚式場 高野会館は当時のまま 大宴会場

1回クロークエレベーター

上階にあがるほど、階段の絨毯はきれいにそのままのこっています。これは1階部分から2階

最上階の階段

震災当日の午前中は、文化芸術発表会があり、たくさんのかたが楽しい時間をすごされていた。 これが人生最後の宴になってしまったという人もいるのです。

言葉にならない・・・


②につづく・・・・

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