時間旅行と命の旅…③宮城県気仙沼市 杉ノ下地区と震災遺構・伝承館

今日は令和元年9月1日防災の日

8月22日気仙沼入して2日目のこと

中々書けなくて、あれから10日が過ぎてしまっている。

なぜだかわからない。

伝えたいと思えば思うほど。そこでこの度

気仙沼ですべての日程をコーディネートしてくださった

地元新聞社三陸新報の玉谷誠一さんに相談をしたところ

『見たまんまを淡々と書いてみたら』だった

4年前2015年11月私が初めて訪れた気仙沼の街

一番はじめに足を運んで衝撃を受けた場所

岩井崎杉ノ下地区。

この地域では毎年津波の避難訓練をしていたという。

避難場所は標高11メートルの高台

2011年3月11日地震が起こってその後津波がやって来ることは

この地区の皆さんにとって想定内のことだった。

指定されている避難場所に行けば大丈夫だ!

誰もが疑わなかった。

避難指定場所標高11メートルの高台に押し寄せたのは

高さ18メートルの津波!その津波により

避難場所で50名〜60名の方が命を落とし、

杉ノ下地区の住民312名中93名の方が亡くなった。

4年前訪れたとき、瓦礫の中93名の方々の名前と、

あなたを忘れないという絆のメッセージが刻まれていた石碑の前で

嗚咽がこみ上げたことをはっきりと覚えている。

そして私も会ったことがない皆さまだけど

なにか魂の縁で引き寄せられたことを実感した。

『忘れない。

会いに来ます。

私以外の人を必ず連れて・・・』

石碑の前で約束をした。それから2年、毎夏

中学生息子や息子つながりの保護者の友と

気仙沼を訪れたが、スケジュールの都合上

杉ノ下地区に足を運ぶことができなかった。

この度4年ぶりにやっと、会いに行くことができた。

4年前とは随分雰囲気が変わっていた。

瓦礫はほとんど撤去され、しっかり整地され

石碑に背を向けると

そこから穏やかな海が見えた。

ゆっくりだけど復興にむけて歩んでいる街だと思った。

このあと車で5分も走ったか

気仙沼向洋高校跡の

『気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館』に

連れて行っていただいた。

伝承館の職員の方は杉ノ下地区で親戚が

亡くなられた・・と聞かせてもらった。

兵庫県から来たというと、その方の従兄弟が

神戸市東灘区岡本にいらっしゃっるということだった。

私の実家東灘区御影の隣町。御影も岡本も

阪神淡路大震災で大きな被害を受けた地域

それもよくご存知だった。

小野寺さん・・・

HAT神戸『人と防災未来センター』に行ってみたいとおっしゃていたので

次は私がご案内しますと約束をした。

震災遺構・伝承館でみた当時の生々しい様子と

そして津波で大切な家族を亡くされた3人の方の映像は

想像を遥かに超えたものだった。

もう、つらすぎて直視できず

ずっと下を向いて流れる涙をぬぐうばかりだった。

でも、これをしっかり心に納めないと

伝えられないんだと言い聞かせた。

今日は防災の日、中々書けなかったけど

杉ノ下の93名の方々が導いてくれたようなきがした。

表紙の写真は震災遺構・伝承館で購入した杉ノ下地区のことを

モデルに書かれた絵本。

読み伝えるつもりで購入したものです。

では

震災遺構・伝承館で撮影した

画像を添付させていただき、今日のブログのお別れと

させていただきます。次回はシリーズラスト

気仙沼の旬の食、そしてラヂオ気仙沼についてお話をします

今現在の向洋高校の建物。この日から2学期がはじまり通常でした↓↓

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