宮城県の旅 気仙沼市と南三陸町~縁をつないで③

ようこそここへ……木村陽子です。

旅の楽しみのひとつは食。ここでしか食べられないもの、ご当地の食材をふんだんに使ったお料理に舌鼓を打つ。
私も中学生の相棒といっしょに、出していただくダイナミックなご当地グルメに胸をおどらせ、めいっぱい頬張りました。

はじめていただくものもあれば、食べたことはあるけれど、本場の味としてはお初!のメニューもありました。
南三陸町と気仙沼市は漁業が盛んな街。やはり海の幸が美味しい!

到着後初の食事は南三陸町のホテル観洋で。ごはんが隠れんばかりにトッピングされた海鮮丼や、旬のお刺身がお皿に並んだ定食などなど海鮮ずくし。

何にしよう!キラキラ~っと瞳を輝かせながらメニュー選びをする私も相棒もお昼は麺類派。なんと!

ありました。ありました。海鮮らーめんが!

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ぜったい食べたことはないし、ここでしか食べられないよね~って二人で納得して注文!
わぁ~こんなにたくさんの海の幸!ミネラルたっぷりです。スープもぜんぶ飲み干しました。

昼食後はホテル観洋のお風呂で湯~ったり。海を目の前にした露天風呂《天女の湯》で裸のお姫さま気分(笑)
これがお風呂の入り口。浴室に行くまでのこの空間、、まるで姫気取りでゆっくり歩き

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ここから先はおみせできませぬ~~~
いいお湯でした。感謝と合掌

お風呂のあとはホテル観洋でお土産えらび。。。これも旅の楽しみ
そしてこのあといよいよ気仙沼入りです。

今の気仙沼の街の様子や感じたことは後程書かせていただくことにして、
気仙沼の美味しい~をご紹介しましょう。

と、ここでちょっとこぼれ話。ホテルについて荷物を置いて、ちょっとだけ、10分だけのつもりで横になったら
電話が遠くでなっている。相棒が慌てて電話を私の耳元に近づけてきて、目がさめました。

30分も寝てたみたい!しびれをきらして玉谷記者が電話をかけてきてくれました。
私のどこでも寝ることができる図々しさにあきれ顔の玉谷さん。お待たせしてごめんなさいm(__)m

寝ぼけた顔でお店にGo!今夜の夕食は玉谷さんおすすめの気仙沼ホルモン!
ホルモンといえど気仙沼ホルモンは豚のホルモンなのです!名物!

これがまた、こってりしているかと思いきや意外とそうでもない。あっさりしすぎてもいない。私の感想ですが、くちどけは牛より優しく甘さも感じました。

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中学生はこのホルモンをたらふくいただき、ごはん3杯もおかわりしていました。
す、すごい(笑)

夜ごはんも最高に盛り上がりました!

次の日の朝はホテルのバイキング。二人とも起きて頭ぼーっとしたままでカメラも携帯も持たずにレストランにいったものですから、朝食の写真はありません。

フカヒレスープは何杯もおかわりしましたよ~

気仙沼フィナーレの昼食はなんと!もどり鰹のお刺身とたたきの二刀流を。
さすが!鰹の水あげ漁No.1の気仙沼すごいわ!たたきは知っていましたが、刺身はそうそう食べるチャンスはないですからね。

油がのって焼いた芳ばしさと新鮮さが入り交じり、口の中で味がひろがる感じ。
手前~右側にお刺身が。。

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かなりのボリュームでしたが、ぺろりと完食しました。大満足!ごちそうさまでした

名物を現地でいただくこの幸せ感。
これからも美味しいものをたべに何度も足を運びたいな~~

心も体もお腹も満たされた旅の食でした!

さあ、いよいよ気仙沼で見たこと聴いたこと感じたこと。

宮城県の旅 気仙沼市と南三陸町~縁をつないで
ファイナルに続く・・・・

宮城県の旅 気仙沼市と南三陸町~縁をつないで②

震災から5年と半年 街の様子は??

ようこそここへ・・木村陽子です。

南三陸町の結婚式場 高野会館で津波の爪痕を間近で見て、改めて地震・津波災害の恐ろしさを実感しました。

でも、街の復興は全く進んでいない、とは思いませんでした。

今は仮設店舗ですが、これから新しい商店街ができます。なのでこの仮設店舗は私にとっては、 この日が見納め。ということでパシャ📷

以前と同じというわけにはいかないかもしれないけれど、地震・津波・災害に遭遇したときに、身の安全を確保できるような街づくりを目指して・・・

今、日本で一番それが進んでいる街ではないでしょうか。

震災前の景観は戻ってこない。だけど、この新しくできた大地が次世代への贈り物になるのだと信じたいです。また新しい歴史のカラーが、新しい景観を作り出し、それがまた歴史に深く刻まれ

これから!ここから、新しい家族と命が誕生し、育まれて行くのですね。

そして!今は新しい街も新しい建物も、いつか新しくなくなり時代が残した宝物になるんです。

可能性をたくさん秘めて、これからまた新たな宝物が増える街です。これからこの街にたくさんお世話になりに来よう!


新しい道もできています。


宮城県の旅 気仙沼市と南三陸町~縁をつないで③につづく・・・次回は美味しいシリーズ

宮城県の旅 気仙沼市と南三陸町~縁をつないで①

ようこそここへ 木村陽子です。

はじめに・・・この旅が中身の濃い、充実したもになったのは現地でずっと案内をしてくださった地元新聞社 三陸新報記者 玉谷誠一さんのおかげです。ありがとうございました。

8月27(土)・28(日)の二日間東日本大震災後二度目の宮城訪問をいたしました。前回訪れたのは  昨年の11月7(土)8(日)晩秋。今回は夏から初秋にかけて。すでに気仙沼の空は秋色でした。前回行かせてもらったときはひとり旅。

その時、次回は必ず二人以上で来るね、と約束をしました。で、今回は中学2年生男子と二人で訪れたのです。

余談ですがこの中学生、実は宮城県と縁があるようで、彼が2歳のときに、彼のおじさんの結納式が仙台の多賀城で行われ、母親である私に連れて行かれたのです。もちろん彼はそんなことみじんも覚えていませんが)

今回の旅は、地震災害にあったこともない次世代の人たちに、地震がもたらす被害や、怖さ、そして地震がおきてしまったときにどうすればいいのかということを考えてもらうためのものでした。

私は、21年前の阪神淡路大震災を経験していますが、彼は全く知りません。毎年1月17日には学校で防災について学んでいるようです。

今年も南三陸町志津川の中学校の先生が彼の通う中学に来られ、お話をしてくださったそうです。これもとても大切なことではあると思います。

しかし、それだけで満足してしまうのはどうでしょう・・・せっかく遠いところから時間をかけてお越しいただいているのですから。受ける側が深く受け止めなければ・・

恥ずかしながら、実際に彼はありがたい志津川の先生の講演を受けたことを一切私に話しをしませんでした。これは憶測ですが、彼のなかでは一授業のひとつだったのではないかと感じました。

せっかくのお話、あとは縦《家庭》の教育でもしっかりと伝えなければ・・・と思いました。

私は戦争を知りませんが、戦争の悲惨さや怖さや悲しみは実際リアルに体験した両親から聞いていました。両親が戦争体験者ではなかったら・・それほど戦争の話を真剣に聞くことはなかったかも知れません。

それと同じという訳ではありませんが、身近な人から直接伝えられたことは時がたっても忘れることが少ないように思います。

子どもにとって親の口から発信されるものが大きく大切な情報源だと考えます。今回は、言葉ではなく、知る環境を整えただけなので、えらそうなことは言えませんけどね。

中学生の彼は、カメラをしっかりぶら下げて、記者さんの言葉を聴きながらひたすらシャッターを押していました。デジカメですが、レンズを通してなにかが伝わってくれたら・・・


もう、走らない気仙沼線の鉄橋。当時のまま

津波の被害が大きかった地域では土地のかさ上げ、かさ上げ、かさ上げ・・・

南三陸町の防災庁舎と献花台 今でもたくさんのお花と千羽鶴。そして手を合わせる方たちも。

南三陸町の結婚式場 高野会館は当時のまま 大宴会場

1回クロークエレベーター

上階にあがるほど、階段の絨毯はきれいにそのままのこっています。これは1階部分から2階

最上階の階段

震災当日の午前中は、文化芸術発表会があり、たくさんのかたが楽しい時間をすごされていた。 これが人生最後の宴になってしまったという人もいるのです。

言葉にならない・・・


②につづく・・・・