ラジオ
新幹線を……〇〇〇しました
はじめての新幹線は山陽新幹線の岡山-新神戸間
岡山に住んでいた幼稚園の夏休み、父と神戸に住む祖父母宅へ新幹線に乗って会いに行った。
それから毎年のように夏休みになると、父に新幹線に乗せてもらった。
父との思い出がつまった新幹線。
そんな新幹線にまつわる公園が今私が暮らしている街にある。
兵庫県西宮市上甲東園4丁目
【山陽新幹線記念公園】
存在を知ったのは2年ほど前。
興味は湧いていたものの
皮肉にも新幹線を利用する時間が多かったため、なかなか行く時間が作れなかった。
そんな中
令和2年8月2日に担当したさくらFM【街なかホットレポート】〈生中継〉
レポート先がこの新幹線公園だったのだ。
中継がはじまり、スタジオささきみほさんからの呼びかけでの私の第一声は、、
【新幹線をまたぎましたー】
新神戸~新大阪間に位置する、長さ16キロのトンネル【六甲トンネル】の東側入り口の真上にある。
ちなみにトンネル西側入り口は新神戸駅。
こどもの頃から新神戸駅=トンネルのイメージがあって然り
新神戸駅発車後(上り)およそ6分後にこのトンネルから顔を出す。
下り列車はご覧のとおりジワジワと顔を近づけてくる。
とにかく一般市民の私が真上から新幹線を観ることができるのはここだけではないだろうか。
貴重な場所。
当日も朝早くから親子連れや新幹線好きの男性が来て写真を撮っていた。
特に遊具などはない。
桜の木がアーチのように公園を包み込んでくれている。桜の季節はまた格別だろう。
忘れてはならない事がある。
山陽新幹線開通工事、六甲トンネル掘削工事にあたり54名が殉職された。
その54名の方々の慰霊碑がある公園だということ。線路側には名前も刻まれている。
人と人をつなぐ便利な交通網。わたしたちにたくさんの時間を与えてくれる新幹線。
礎となったのはたくさんの命。
新幹線の走行を見守ってくれているように見えた。
公園に行ったら、まずは慰霊碑に感謝の挨拶をしてから新幹線の往来を真上から楽しみたい。
そしてこのような歴史とともに、新幹線記念公園の存在をもっともっと知ってもらいたい。
人が人であるために
〈お二方ともお顔写真掲載ご了承済〉
人生最後の作業
人生最後の作業…
裁縫は苦手!少年野球時代、中学、高校、息子たちの背番号縫いが正直イヤでイヤでたまらなかった。
ゆがんでた、上すぎた、下すぎた、など息子たちが毎回クレームを言うので、一度だけ次男が中学生の時に放棄したことがある。
当日の朝、背番号がついていない事に気がついた次男はあわてて自分でグダグダに縫っていった。
その時下手やと思っていた母のほうがやはり上手いと思ったのだそう。
それからピタっとクレームを言わなくなり、次からは縫いつける場所までセッティングしてお願いしますと頭を下げるようになった。
そんなこんなの9年、長男の少年野球時代をあわせると12年、、(言ってもそのうちのワンシーズンだけですけど^_^)最後の最後が一番美しく縫えた!
背番号を縫い終わった今、あれだけいやだったのに、こうしてしずかな夜に背番号を縫いつけることはもう二度とないのだと思うと…涙が止まらなくなった…