時間旅行と命の旅…④港町散歩~宮城県気仙沼市~

喜怒哀楽ではなく喜と哀楽がいっぱいの旅でした。

時間旅行と命の旅エピローグは…

港町気仙沼散歩でしめくくりたいと思います。

私が宿泊していたのは

JR大船渡線気仙沼駅すぐ目の前にあるホテルパールシティ気仙沼でした。

行きは飛行機でしたが、帰りは新幹線だったので

駅が近いのが一番!と思い選んだ宿泊場所です。

朝食を食べながら駅の様子を撮影してみました。

気仙沼の駅舎の屋根はお魚❓聞けばメカジキと漁師さんが描かれているということでした。

そして灯台を模した迎灯がやはり港町らしいですね。

2日間この風景を堪能しながら朝御飯をいただきました

時間旅行と命の旅…③宮城県気仙沼市 杉ノ下地区と震災遺構・伝承館

今日は令和元年9月1日防災の日

8月22日気仙沼入して2日目のこと

中々書けなくて、あれから10日が過ぎてしまっている。

なぜだかわからない。

伝えたいと思えば思うほど。そこでこの度

気仙沼ですべての日程をコーディネートしてくださった

地元新聞社三陸新報の玉谷誠一さんに相談をしたところ

『見たまんまを淡々と書いてみたら』だった

4年前2015年11月私が初めて訪れた気仙沼の街

一番はじめに足を運んで衝撃を受けた場所

岩井崎杉ノ下地区。

この地域では毎年津波の避難訓練をしていたという。

避難場所は標高11メートルの高台

2011年3月11日地震が起こってその後津波がやって来ることは

この地区の皆さんにとって想定内のことだった。

指定されている避難場所に行けば大丈夫だ!

誰もが疑わなかった。

避難指定場所標高11メートルの高台に押し寄せたのは

高さ18メートルの津波!その津波により

避難場所で50名〜60名の方が命を落とし、

杉ノ下地区の住民312名中93名の方が亡くなった。

4年前訪れたとき、瓦礫の中93名の方々の名前と、

あなたを忘れないという絆のメッセージが刻まれていた石碑の前で

嗚咽がこみ上げたことをはっきりと覚えている。

そして私も会ったことがない皆さまだけど

なにか魂の縁で引き寄せられたことを実感した。

『忘れない。

会いに来ます。

私以外の人を必ず連れて・・・』

石碑の前で約束をした。それから2年、毎夏

中学生息子や息子つながりの保護者の友と

気仙沼を訪れたが、スケジュールの都合上

杉ノ下地区に足を運ぶことができなかった。

この度4年ぶりにやっと、会いに行くことができた。

4年前とは随分雰囲気が変わっていた。

瓦礫はほとんど撤去され、しっかり整地され

石碑に背を向けると

そこから穏やかな海が見えた。

ゆっくりだけど復興にむけて歩んでいる街だと思った。

このあと車で5分も走ったか

気仙沼向洋高校跡の

『気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館』に

連れて行っていただいた。

伝承館の職員の方は杉ノ下地区で親戚が

亡くなられた・・と聞かせてもらった。

兵庫県から来たというと、その方の従兄弟が

神戸市東灘区岡本にいらっしゃっるということだった。

私の実家東灘区御影の隣町。御影も岡本も

阪神淡路大震災で大きな被害を受けた地域

それもよくご存知だった。

小野寺さん・・・

HAT神戸『人と防災未来センター』に行ってみたいとおっしゃていたので

次は私がご案内しますと約束をした。

震災遺構・伝承館でみた当時の生々しい様子と

そして津波で大切な家族を亡くされた3人の方の映像は

想像を遥かに超えたものだった。

もう、つらすぎて直視できず

ずっと下を向いて流れる涙をぬぐうばかりだった。

でも、これをしっかり心に納めないと

伝えられないんだと言い聞かせた。

今日は防災の日、中々書けなかったけど

杉ノ下の93名の方々が導いてくれたようなきがした。

表紙の写真は震災遺構・伝承館で購入した杉ノ下地区のことを

モデルに書かれた絵本。

読み伝えるつもりで購入したものです。

では

震災遺構・伝承館で撮影した

画像を添付させていただき、今日のブログのお別れと

させていただきます。次回はシリーズラスト

気仙沼の旬の食、そしてラヂオ気仙沼についてお話をします

今現在の向洋高校の建物。この日から2学期がはじまり通常でした↓↓

メッセージを受け取る日

亡き父は8月15日になると毎年客間で大の字になり

レコードをかけていた。それも軍歌…

子どものころ、その姿が不思議でならなかった。

幼稚園の夏私は母に『お客間でお行儀わるいねお父さん』と言うと

母は『しー!陽ちゃん、お父さんはね、お空にいる大切な人とお話してるのよ。だからそっとしてあげてね』

その時全く意味がわからなかった。

父は16歳のとき広島県江田島で終戦を迎えた。

海軍兵学校77期生(現在海上自衛隊第一術科学校)

父からこの時代の話はほとんど聴いたことがない。

今年下の息子が父のその当時の歳、満16歳になった。

高校の軟式野球部に所属していて、

本当は今日から合宿に行くはずが、台風のためオフになった。

時間ができたため

母のところへ連れていって父の御霊にご挨拶。

8月15日…

毎年必ずなんらかの形でメッセージを受け取る。

仕事であったり、映像であったり、いつもと違う音であったり。

この日は天に召された大切な人が帰ってくる日

今年も静かに祈りを捧げ後世に伝える日になった。