線路は続くよどこまでもー兵庫県朝来市神子畑ー

阪神淡路大震災後の住宅事情もあり

平成7年の5月から兵庫県宍粟市で2年半暮らした。

宍粟市の中でも一番北側に位置する一宮町で。

宍粟市には鉄道がとおっていないためマイカーか

神姫バス。

どうしても鉄道というときに利用していたのが播但線

となり町の朝来市新井(にい)駅。

今回は思い出の和田山、新井、そして明延鉱山跡へ

取材旅にでかけた。

当時はゆっくり眺めることができなかったため

どうしても足を止めたかった

『神子畑選鉱場跡』に立ち寄った。

階段状の巨大構造物とドーム型のシックナーなどが

閉鎖された当時のままの出で立ちで行き交う人の

感嘆の声をすくい上げる。

鉱山事務所として使用されていた当時の

建物ムーセ旧居も一般公開され神子畑選鉱所の

歴史や模型などさまざまな展示を見ることができる。

昭和のはじめ頃、神子畑と明延の間に建設された

鉱山鉄道明神電車。

鉱石を運搬する合間に一円という日本一安い運賃で

町に暮らす人の足として使用されたため

一円電車という愛称で呼ばれるようになった。

一円電車は現在も保存されている。

鉱山の町として賑わった明延。

社宅や銀行、娯楽施設もあり、当時は山間部の中の

巨大都市だったのだ。

今回は神子畑にスポットをあてたが、

姫路から生野、養父まで銀の馬車道、鉱石の道として

つながっている73kmを近々旅をすることになった。

旅の線路は続くどこまでも^_^

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。